旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。

ネタバレがあります。ご注意ください。

また、若干酷評しています。ご了承ください。

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫)

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫)

少年と少女は旅に出た

購入する予定はさらさらなかったのだけれど、本屋で見つけ、なかなか好みの表紙と題名だったので、購入。内容的には、空色ヒッチハイカーのようなものか。違う点は多々あるのだけれど。特に、明確な目標が決まっていないところ。まあ、それを探しに、世界の果てを目指しているのだろう。けれど、だからこそ、読者自身が何らかの意味を見出せなければ、退屈なものでしかない。実際、私にはぼやけたイメージしか浮かんでこなかった。まあ、そんな泣き言を言っても仕方がない。置いておこう。少年と少女が、旅する話。彼と彼女の、日記帳。

私の名前はなくなってしまった

この世界の全ての人が、何か妙に達観している。まあ、喪失症とは、恐怖という思考すらも喪失するのだろう。と、勝手に納得。

へたくそな癖字のそれには、確かに彼の気配が残っている

ボスの存在が消えたのに、この名前が残っているのはおかしくないだろうか。確か、存在が消えたら、その人が残した痕跡も消えるのではなかっただろうか。消えるまでには、タイムラグがあるのだろうか。それとも、これも抜け穴なのだろうか。想いが強ければ、それは残る、とでもいうのだろうか。それが、喪失症で消えた人の、その行く先の、手がかりになっているとでも、いうのだろうか。

この日記二号の所有者へ、一号の所有者二名より秘伝の極意を授与

最後の日記の抜け穴について。おそらく、ここが本書一番の見せ所だろう。ここをもう少し上手く描ければ、この作品への評価も、また違うものになったかもしれない。というか、ここまで読んでいれば、そんなことわかりきっている。なので、そんなにも直接的に描かなくてもよかったのではないだろうか。姫を読者に見立て、ぼやかしながら、そんなヒントを与える方が、よかったのではないだろうか。それが

まるで、雷に打たれたような衝撃だった

この文章を薄れさせている。人から教えられるのと、自分で答えに辿りつくのとでは、どちらの方が衝撃的だろうか。私ならば、確実に後者である。加えて、少年と少女は、自分たち自身で、答えを探しながら、旅をしているのではなかったのか。それならば、姫に対しても、そのように在るべきではないだろうか。

何か、ああ、だからあの時、そういう行動をしたのか。と、思えることがない。ただ単に、こういう物語を書いてみました、的なものにしか、感じられない。短編が、短編でしかない。こういう物語を書くには、実は色々な伏線がいるものだ。まだあまり感想が多くないため、例を挙げられないけれど、その中で近いところは、この作品だろうか。

全てを捨てて旅に出ないか

この言葉が、一番初めに出てくるけれど、全て読み終えてから思い返してみると、とてつもない違和感に、襲われる。だって、捨てるものなど、何も持っていないのだから。それとも、喪失症に罹る前の話なのだろうか。おそらく、少女の方が先に発症したものと思われる。まあ、進行速度はまちまちらしいので、わからないけれど。ということは、少女が誘ったときには、まだ少年は発症していなかった、ということなのだろうか。

旅をして答えを探すのではなく、旅という経験を通して答えを模索してゆく。

と、あとがきに書いてあったけれど、これが作者の考える、二人の道らしい。けれど、何が違うのだろう。この二つの言葉の本質的な意味は、同じではないだろうか。おそらく、言葉では表せない、明確な違いが、本人の中にあるのだろう。けれど、それが伝わってこない。それを表せてこその作家であり、プロであろう。やはり新人。というような作品。まあ、私が気付けなかっただけかもしれないけれど。作風は好きなだけに、残念。

2人の旅がどこまでも続きますように

この絵師さんに拍手。実は、この絵師さんが一番この物語を理解しているのかもしれない。最初わからなかったけれど、あのあとがきの絵は、そういう意味か…一番衝撃的だった…挿絵でこんな描き方出来る訳もないしね。けれど、スーパーカブは、もう少しちゃんと描いてほしかったかな。