儚い羊たちの祝宴

ネタバレがあります。ご注意ください。

また、氷菓のネタが出てきます。

氷菓未読の方は、この所感を読んではいけません。

儚い羊たちの祝宴

儚い羊たちの祝宴


…すばらしい。最期の一行は、どんでん返し、というよりかは、最期の一行のみで、その物語を表現できる、といったところか。いわば、物語の収斂部分。その一行に、物語が集約されている。最期の一行を読むだけで、その物語が浮かび上がる。というか、栗きんとんを、買ってこなくちゃ。

口止め料です。どうぞ、この山荘でのことはご内聞に

…オチがすばらしい。そっちにいくのか。散々、口約束を信用しない、と言っていたのは、全ては、最期の一行のため。ゆき子はヒマラヤに、行けただろうか。越智は嵩んだ費用を、ものともしなかっただろうか。あの、おそろしい口止め料を、受け取ったのだとしたら――――飛鶏館に、行ってこよう…

わたしは

儚い羊たちの晩餐、における、大寺鞠絵の日記の、最期の一行。……え?もしかして、もしかして、もしかしたら、アミルスタン羊を、厨娘の料理法で、料理したのだろうか。夏はその技を、披露したのだろうか。鞠絵はそれを、させたのだろうか。それを知る術は、もう、ないけれど、もしそうなのだとするのならば、それは、メデューズ号の筏よりも――――…ちょっと、野卑な方向に走った物言いをしてしまうけれど、食べるって、どの意味なのだろう…

まあ、それはおいといて、気になるのは、アミルスタン羊の中身。バベルの会の会員であることは、作中から読み取れる。けれど、だとするならば、バベルの会員の中身って、なんなのだろう。ただ単に、作中に登場している団体というだけの役割しか、持っていないのだろうか。作中にはもう一つ、文芸倶楽部という団体が存在する。こちらは、創作専門らしい。ということは、もしかしたら、文芸倶楽部が作者たちで、バベルの会は、読者たち(もっと言うのであれば、ネットに溢れかえっている感想が書かれたブログ等)、なのかもしれない。だとしたら、だとしたら、だとするのならば――――I scream。

儚い羊たちの祝宴

何故、この本の題名が、このタイトルなのか、全く分からない。けれど、上述したような意味ならば、私のような者を揶揄したような意味なのだろう。けれど、まあ、それが永久になくならないことを、作者自身も知っているのだろう。だから最期のオチが、これなのだろう

バベルの会はこうして復活した