酷評について

まあ、いまさらな話題ではあるのですけれど、ネット上の感想サイトについて。あらかじめ言っておきます。酷評という言葉が嫌いな方は、このエントリを見てはいけません。気分を害する恐れがあります。






選手の報酬に批評はつきものだ

時には賞賛され、時には批判される

少し古いけれど、アトレティコマドリーのハビエル・アギーレ監督の言葉。レアルとのダービーマッチに敗れ、戦犯とされた選手についてインタビューされたときの言葉。まあ、ヨーロッパサッカー界においては、そう珍しい言葉な訳ではないけれど、立派だと思う。リーガという、世界中が注目しているというプレッシャーの中で、戦っていることも。批評自体が報酬であるという考え方も。

まあ、いつも言われていることだけれど、作者はネット上の感想サイトを嫌っているらしい。気持ちはわかる。とか言うと、一般人がわかった振りするな。とか、それなら酷評書くな。とか、言われそうだけれど、今は置いておこう。

もし悪意を持って記事を書かれ、正直な人々がその記事を読んで本気にしたら、僕はどうしていいか分からない。

批判にはいいものと悪いものがある。しかし、僕たちに対して正当な評価をして欲しい。

一部のメディアから批判されている、最近のデコの言葉。ああ、まったくもって、その通りだ。
ただつまらないとか、ただ金の無駄をしたとか、そんなことを、仔細なく、証左なく、何の躊躇もなく、言う人がいる。批判しているオレかっこいい的な感想とか、わざと悪い部分しか見つけないような感想とか、そのようなものは数多く、ある。けれど、それが全てだと、思わないでほしい。全てに悪意があると思わないでほしい。どうか失望しないでほしい。どうか絶望、しないでほしい。そして、私たちの声が届くことを、祈っている。

後は、購入する前に情報を予め集めておくことも大切かもしれない。とはいえ、前評判でメディアがやたら盛り立てていたりもするので、酷評には作者と読者以外の要因もある。けれど、それでも、だからこそ、作品以外のところで、読者は作者を嫌いになりたくはない。作者に読者を嫌いになってほしくは、ない。

なにやら卑怯な言い方になってしまったかもしれない。甘えたことを言っていることもわかっている。それでも、言葉にしたいことというのは、あるのだと、思った。

最後に一応、言っておこう。このエントリは、これから書くことになるかもしれない酷評に対しての保険ではない…いや、やっぱり保険だろうか。それでも、全ての酷評に悪意があるのだと、思ってほしくはない。そういえば、クドリャフカの順番で物凄いことが書かれていたな。そのうち、感想を書けたらいいのだけれど。