ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ

ご注意ください。致命的なネタバレがあります。

また、感想中に戯言シリーズのネタが出てきます。

まだ読んでいない人はお気をつけください。

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

……死んでも知らないからね

主人公山本とヒロイン絵理。二人がチェーンソー男に立ち向かうお話。いや、最後まで読むとそういうことではない事がわかるのだけど、序盤はそんな感じ。どうでもいいけれど、絵理のツンぶりはナイスだ。

どうせあたしが玄関に出るのに

山本よ。葬式の話と合わせて気づくべきだ。少しは察して、やるべきだ。気づいていない振りだろうか。いーちゃんなのだろうか。

普通は感動、するもんだ

どうなのだろうこれは。滝本竜彦に実際あった話なのだろうか。まあ、それは置いておこう。この件は、嫌でも高校時代を思い出させる。大学生以上でこの件を読むと、おそらく、ああ、こんなことも思っていたな。でも、高校生だった、若かった自分が悪い。と、思うだろう。いや、違うかもしれないけれど、私はそう思った。同時に、私は教師になったことが無いので教師の気持ちはわからないけれど、教師は高校生であったことがあるではないか。ならば高校生の気持ちがわかるはずではないか。とも思った。それが甘えだということは知っているけれど、わかってはいるのだけれど…この辺りをもう少し書きたかったけれど、止めよう。赤の他人が見たら、なんだこいつ。と、思われかねない。

……へぇ。そう

山本が転校のことを絵理に話す。絵理はなんでもないことのように振舞う。そして強くなるチェーンソー男。いくら鈍い私でも、さすがにわかってくる。

もう、時間がないのに……

何故こんなにも絵理はチェーンソー男に拘るのか。それが明かされる。絵理の隠し事が、明かされる。絵理がチェーンソー男に見ていたもの。山本がチェーンソー男に映し出していたもの。

決まってるだろう。どこまででも突っ込むぜ

能登。序盤では影薄いけれど、次第に存在感を増す。重要なときに思い出されるのは能登能登の敵は何だったのだろう。姉貴がらみだろうか。だから公園で飛び出して行ったのだろうか。とすると、歌詞に出てきた俺たちというのは、そういう意味だろうか。ならばヤツとは、倫理だろうか。不条理だろうか。世界の悲しみだろうか。複雑な世界、だろうか。あれは本当にあったことだろうか。それともこれから起こそうとしていたことだろうか。ならばバイクの後ろには、姉貴が乗っていたのだろうか。能登は守ったのだろうか。勝ったのだろうか。それとも、それは些細なことで、もっと別の何かに向っていったのだろうか。結局、私にはただ想像することだけしかできない。なぜならば、彼はもう、どこにもいないからだ。

しあわせとは一体どういうものだろう

西尾維新は山本と絵理の二人は別々に、個々に考えるべきであると言っている。なるほど、そうであるかもしれない。けれども、それでも私は、この二人が他人ではなく、出会うべくして出会ったのだと、そう思いたい。チェーンソー男が出現したのは、絵理の家族が死んだ時となっている。そしてそれは、能登が死んだ時と同じ時期なのだろう。絵理だけでなく、山本の心情をも映し出しているのだろう。能登自身の心情も映し出しているのだろう。そして、能登から山本への、プレゼントなのだろう。チェーンソー男。不死身。永遠。これは二人の絆の証ではないのだろうか。心臓が弱点なのも、心を示唆しているのではだろうか。いや、おそらく違うだろうけれど、そう考えた方が、ロマンチックではないだろうか。

勝手に深読みしてありがたがってくれる

まさしく私のことだ。まあ、私が深読みしたところでたかが知れているけれど、それでも、彼らがハッピーであることを祈ろう。ネガティブでもいいではないか。山本よ。真っ赤な夕焼けに、私も祈ろう。